🎊疑ぐり部🎊を結成しました❗️正しく疑い、夕日に手を振ろう🌅✨❗️メンバー募集中✅年齢不要✅必須条件✅疑ぐる時に、目を、合わせること👀〽️のみ✨

 

「クマに会ったら、絶対に目をそらなさい!声も出さないこと!背中を向けるのが一番だめ!」何かにつけて、つけるものがなくてもそう念を押し付けてきた父ちゃんは、実際に子グマに遭遇した時、山中響き渡る声で叫び、いの一番に逃げ去ってからというもの、クマへの恐怖心と己の不甲斐なさから山が好きなのに行けなくなってしまった。日陰も怖がるようになってしまった。

 

それじゃあダメじゃん春風亭昇太は言う。秋田で暮らすということは、クマとともに生きるということ。

 

ここ数年、クマに関する情報を貪るも、「昔はデカイ音で逃げたが今のクマは寄ってくる」とか「最近のクマは人間慣れして太刀打ちできない」とかいろんな意見が聞こえてくる。無知な自分はうのむ、うのむ、村まるこど鵜呑みにする。

アイヌの人とクマの関係性みたいな話はもう昔の話なんだな、アーバンベア、というようにクマは変わってしまったんだな、なんて落胆しヒトとしての対応を見失いコロナと並行してクマ・パンデミックにも陥っていた。

 

そんな時、NHKスペシャルの「クマと老漁師」の回を見てクマのおやじこと大瀬初三郎さんに感銘を受ける。

漁でとった魚を狙うクマにどんどん歩み寄って「コラ!」一言で追い返すおやじ。超原始的。ヒトとクマ。共存を体現する希望のおやじ。クマを見る目が誰よりも優しい今一番あいたいおやじ。

 

そんな、やみくもに怖がるフェーズは今こそ抜ける時、という暗示のようなタイミングでクマとヒトの共存についての講座が地元で開催される。怖がる父ちゃんもその暗示に調子乗り2人で聞いてきた。

 

現役鳥海マタギ、小4から始まりてっぽうもって60年の三浦俊雄さんから聞くはじめてのマタギの話。

 

山の一定の深いところに入ったら仲間との情報共有はヒトの言葉ではなくてマタギ語を使う。万が一ヒトの言葉を使った場合には禊として真っ裸になって川の水で全身を洗い穢れを落とします。とこれを十億倍ネイティブな方言にしたひょうひょうと出るすべての話がおもしろすぎて叫びたくなるのをこらえながら聞きこぼさないように全身の毛穴を鼓膜と化す。

 

マタギが信仰する山の神は執着心が強く、オコゼを好みます。それは、この世に自分より醜い姿のものがあることを再確認できるからです。

これ、修験道の本で読んだ時はすっとばしてたけど言葉として聞けたら椅子から転げ落ちそうになった。

 

狩猟したクマは絶対に里に帰って儀礼をしてから捌く順番も決まっていて、里の人みんなで食べる。という話は、書物で読んだだけのアイヌの知識だが、それともとても共通点があると思った。

 

「クマが可愛いのは分かるんですけど車で見かけたとき写真を撮って、それだけだとクマは自分はかわいいのかな、と思いますんでかわいいと思いながらクラクションも鳴らしてください」

「我々マタギは、棲み分けを区別させるためにクマに人間と関わるとろくなことないとずっとしつけてきました。」

この辺の話はクマのおやじも母グマに怒鳴ることでそれを見ている子グマにしつける、と言っていた話とリンクした。

 

締めの言葉では「クマにはクマの言い分があるんだろうけど、人間には聞いてもらえず、いつも欠席裁判で人間に有罪判決にされてるわけですが、」と言っていて言葉の端々に拭っても拭いきれないクマへの愛情がついていた。食べ方の汚い人に頬杖つきながらそこ、クリームついてるよ。と指摘する昼下がりの喫茶店。なかった記憶がにおいまで呼び戻る

 

そしてもうひとかた、長年ツキノワグマと、その被害を受けた地域、人から傾向を見てきた近藤麻美さんの言葉は暗雲が晴れるものだった。

 

人口減少がこれからも進む上で、人間は暮らし方もそれに対応していかなきゃ行けないんだなと思った。集合住宅地化キモいと思っていたけどもう少ないおれらまとまってくしかないんだな。

廃村、廃集落にして場所を自然に引き渡したのは人間で、クマはそれに柔軟に対応してきただけで、別に数が急増してるわけではないようだ。

ざっくりと環境破壊が原因で、エサを求めてクマがおりてくるようになった。なんて声も信憑性高く聞こえるけど、地図で見れば緑の量は増えていて、クマ出没の原因はむしろここで、近年市街地とか住宅地にいきなりあわられるクマは、すぐそばの森をかいして街まで来やすくなっているようだ。 そして街にくるクマみんながみんなやせ細っているわけではなくて、山にも餌はあるけど家庭農園などあればそっちにも来れちゃう近さの方がおっきいみたいだ。

 

そして近年のクマは音に寄ってくる説は襲われた人たちの話を聞くとそんなことはないことが分かる。という話だった。

 

もちろん怖いは怖いし、恐怖心は持ち続けていくべきものだけど、恐怖の粗が削れた。

 

正しく知って正しく怖がろう、コロナの時に何度言われただろうか分からない。こういうことを何回繰り返せば良いのか。

疑い方を知らないから真に受けてしまう。きっとこれからもそういうことが沢山あるだろう。

 

疑い方に授業はない。疑い続けてないと疑い方を忘れる。

疑問を持つということをすっかり忘れている。分かり得ないことのすべてを自分の中でいいように捉えて受け止めてきた。 

 

昔は疑えてたみたいな言い方してるけど、これがいつからだかも思い出せない。もともとなんでも真に受けて冗談通じない、言わなくても分かるでしょが通らない性格ではある。

2022年終焉のタイミングで人生〜タケちゃんはじめてのうたがい編〜突入でキッズが沸いてる。

なにからはじめようか、コレナンデ商会見直せばいいかな。

 

来年は❗️疑ってかかるぞー✌️‼️(疑心暗鬼なトロールのエピソード0みたいで泣ける)

 

ほんとまじで一人だと疑心暗鬼なトロールになる気しかしないので疑い部、メンバー募集してます。さあ、疑ぐろー❗️…お前は何だ❗️それは何だ❗️覇気さえあればポジティブになると勘違いしてる部活です。